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エルサルバドル視察日記

ヒロセ通商の理念となっております「人と世界をつなぐ」ということから行っております、学校建設プロジェクトは8カ国目となり、今回の訪問国はエルサルバドル共和国です。
エルサルバドルご存知ですか?中央アメリカにあり、四国とほぼ同じくらいの国土の小さな国で、火山や地震が多く、国民性も勤勉なことから「中米の日本」と呼ばれているそうです。第2次世界大戦後、日本企業が初めて海外進出した国がエルサルバドルなのだそうです。遠く離れた国ではありますが、実はとても身近に感じることができる国なのですね。現在は、何といっても世界の最も危険な「殺人多発都市」トップ50国中、3位にランキングしている国なのです。


自然災害に加え、1980年から92年にかけて激しい内戦が繰り広げられ、多くの国民が他国へ避難している状況の中、ギャングの横行など治安が極度に悪化するなど、経済的、社会的な開発が遅れ、子どもたちの学習環境にも大きな影響が出ているということで、今回支援をさせていただくことになりました。


現地から学校が完成したと連絡が入り、10月15日午後に出発しました。日本からの直線距離は約12500kmととても遠くにあります。上海とロサンゼルスでの乗り継ぎがあり(上海では2時間、アメリカでは5時間滞在)、飛行時間は合計19時間に及びました。エルサルバドルと日本には15時間の時差があるため、エルサルバドルに到着したのは10月16日の朝6時でした。上海、ロサンゼルスを経由して早朝に現地到着の飛行機を選択した理由は、上にも書いた通り、世界トップレベルの治安の悪さからです。


長いフライトを経て、サンサルバドル国際空港へ到着した時には現地の人たちがいっぱいお迎えに来ていて、私は唯一自分が今回の担当者の方に探してもらう以外、担当者の方を見つける方法はありませんでした。


約10分ほどで担当者の方が私を見つけてくれましたが、こんなリスクの大きな10分間は今までに経験したことがありませんでした。


そもそも、多くの人でにぎわっている空港の到着ロビーで、写真だけを頼りにわずか10分程度で私を見つけることが出来たのは、それだけ現地の人間からすると観光客はすぐに判断がつくぐらい、少ないのです。


早速車へ乗り、サンサルバドル首都へ向かいました。道中に担当者の方へこの国は何が問題なのか聞いたところ、一番の問題はギャングの間での憎しみのため、殺人率が高いとのこと。また殺人率が高いために、大人たちは子供に、アメリカへ移住する事「アメリカンドリーム」しか豊かになる方法はないと教育しているそうです。


現在は、多くの夫婦が子供たちをおばあちゃん、おじいちゃんに預け、仕事を求めてアメリカに移住するというケースが多いらしく、空港では何年ぶりかに会う、泣いている家族の姿を毎回みるとのことでした。

到着した時はとても天気が良かったのですが、ホテルについたころにはひどい嵐が来たため、ホテル内で食事をし、その日は寝ました。翌朝、今回の学校建設プロジェクトのプレゼンテーションをしたいとのことで早速学校建設近くにある事務所へ向かいました。


そうするとサプライズ!今回学校を建設した学校の子供たちが迎えてくれました!とてもエネルギッシュな子供たちで、言葉は通じませんでしたが、自分たちの名前の日本語のカタカナ読みでの発音にすごく興味を持ち、一生懸命真似をしてくれました。


後程なぜ、あんなにエネルギッシュだったかを担当の方に聞くと、ヒロセ通商さんがあの子供たちが夢に見てた運動場を建設してくれたからだと言ってくださいました。


日本では考えられないと思いますが、外が危険なためエルサルバドルの子供たちは柵に囲まれた中、また建物の中にいることが多いそうです。首都サンサルバドルから離れている、ここウスルタン県サンフランシスコ・ハビエル郡にある学校だからこそ、外での活動が可能だということで、運動場の様な遊び場で思うように体を動かせることは本当にうれしい事だそうです。その喜びは顔を見るとわかりますね。


同じ地域で、今回支援した学校とは違う学校も拝見してきました。この地域には数多くの学校が存在するそうですが、まだまだ海外からのたくさんの支援が必要だと聞きました。


学校の中に入ってみると、おや?学園祭かのようにトウモロコシのスナックを学生達が販売していました。その名は「クレイジー・コーン」。響きからして恐れを感じましたが、せっかくなので食べてみることに。現地では有名なスナックの一つとされていて、ケチャップとブラックソース(校長先生もこの正体は知らず)とチーズをトウモロコシにふりかけたものでした。なかなか美味しかったです。


日も暮れてきたので早速帰ることに。すると帰り道中に線路が。え?エルサルバドルって電車があるの?と担当者に聞くと、1876年から2002年までは電車が走っていたそうですが、内戦があった時に見捨てられた鉄道となったそうです。それにしても物静かでとても綺麗でした。


翌日は学校のオープニングセレモニーがありました。 早速、関係者、学校の先生たち、子供たちからのスピーチに続いて、ダンス、歌などの素晴らしい華やかなパフォーマンスを見せていただきました。その中でも一番気に入ったのはやっぱり中米なだけに情熱的なサルサダンスでした。

パフォーマンスの後に学校を拝見しました。ヒロセ通商が今回の建設プロジェクトで取り組んだのは教室、食堂、運動場と、子供たちが踊ったり、学校の会議などの集まりで使うホールの建設でした。教室の色もとても明るく、子供たちのやる気がでそうな環境でとても嬉しく思いました。

左は食堂です。


すべての行事が終わり、子どもたちにお別れを告げ、学校を後にしました。 出入り口で、エルサルバドルでよく目にする野良犬と、可愛い少年に出会いました。 早速ヒロセTシャツも着てくれていました。Thank you!


帰りもとても楽しかったです。日本では考えられませんが、エルサルバドルでの移動中、道路に必ず野良犬、馬、そしてなんと牛に会います! 野良犬は人に慣れているようで、道路で家でくつろいでいるかのように寝転んでいることもありました。車を降りて放し飼いにされている牛を触りに行くと長いベロをだして優しく迎えてくれました。


またエルサルバドルで、野良犬と同じくらいよく目にしたのはボロボロになっていても乗り回されている車でした。
しかしエルサルバドルの豊かな自然と一昔前のアメリカのお下がりであろう古い車が絶妙によい風景にみえ、一瞬世界トップクラスの危険な地域であるということを忘れていました。



翌朝日本への帰国のためサンサルバドル国際空港に向かうと、近くのガソリンスタンドでチャーミングな方に会いました。フルーツを売っていたので写真を撮りたい!というとまさか私?!みたいな顔をしならがらも快く撮らせていただきました。写真のお礼にフルーツを買い、見たことが無いものだったので名前を教えてもらいました。このフルーツはエルサルバドルではコロナという名前だそうです。


コロナビールのコロナではありません。コロナとは王冠の事で、このフルーツのてっぺんに王冠のようにとがっている部分があるためにコロナと呼ばれているのだそうですが、正式な名前はホコテ・コロナだそうです。マンゴーとリンゴ?の中間のような味がして、種がとても大きく、なかなか美味しかったです。


空港では、お別れを告げる家族を多く見かけました。

涙ながらに抱き合う家族を見て、エルサルバドルに着いた日に遭遇した嵐の中のお話しを思い出しました。 激しい嵐の中、洪水に巻き込まれて9歳の少年が亡くなりました。多くの家族がそうであるように、この少年のお母さんもお父さんもアメリカに住んでいたらしく、少年はおばあちゃんに育てられていたそうです。


しかし金銭的な問題もあり、最後に息子に会うこともできなかったそうです。本当に最後になるかもしれないお別れがここにあるのだと考えると鳥肌が立ちました。早くこの悪いサイクルから子供たちが抜けられるように、しっかり教育を受け、素晴らしい家庭を育て、エルサルバドルを治安のいい場所にできるようになってほしいと思います。頑張れ!子どもたち!You can do it!


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