ミャンマー視察日記

ヒロセ通商の理念となっております「人と世界をつなぐ」ということから行っております、学校建設プロジェクトは10カ国目となり、今回の訪問国はミャンマー連邦共和国です。

ミャンマー連邦共和国は東南アジア地域では最大の面積を誇り、中国、ラオス、タイ、インド、バングラデシュと国境を接しています。 2014年の国勢調査によると人口約5,028万人を擁し、ビルマ族を中心に、シャン、カチン、モン、チンなど約135もの民族から構成され、その多くはタイや中国、インドとの国境付近に居住しています。

またミャンマー人の89%が仏教徒、5%がキリスト教徒、そして4%がイスラム教徒と推定されています。 1988年から軍事政権による統治が続いていましたが、2015年の選挙を機に民主化や経済改革が進みつつあります。しかし、都市部と農村部との格差は依然として大きく、開発に取り残された地域や少数民族など、困難な状況の中にある人々のニーズは依然として十分にこたえられていないということで、今回支援をさせていただくことになりました。

現地から学校完成の連絡が入ったので、6月初旬に出発しました。 ミャンマーまでの道のりは、関空(大阪)→バンコク(タイ)→ヤンゴン国際空港(ミャンマー)と約9時間の飛行機移動です。 空港に着くと、この時期のミャンマーはちょうど雨季ということもあり、湿度が高く蒸し暑さを感じました。空港を出ると数人のタクシー運転手による積極的な客引きが行われていて活気にあふれていました。

ホテルに着くと、向かいにはスーパーがあり、現地の人々がどんな物を普段食べているのか興味をもったので見学してみることにしました。近年、韓国の食品だけでコーナーが設けられるほど韓国ブームだそうで、このスーパーの中にはたくさんの韓国商品が陳列されていました。

2日目は、ヤンゴンから西へ約190km離れたミャンマー第4の都市パテインへ車で約6時間かけて移動しました。 ヤンゴン市内を少し出るとそこにはスラム街ができており、地方から都市部を目指して集まった人々がこのエリアに住みつくようになり、日本だと学校に通っているような年齢の少年少女も仕事しなければならず社会問題となっています。

昼食は移動途中に立ち寄ったレストランで食事をとっているとスコールにみまわれ、突然店内が暗くなりました。現地の方の話では、大雨で電柱が倒れてしまうと漏電して危険なので、スコールの時には意図的に停電が行われているそうです。

夕方前にはホテルに到着し、それまでの移動疲れや翌日の学校訪問に備えて早めの休息をとることにしました。 しかしホテルの部屋から見える交差点では、交通量が多いのに信号がないため行き交う車やバイクのクラクションがしょっちゅう鳴り響いていて気が休まりません。

しばらくしてクラクション音にも慣れてきた頃に、次は停電が始まりました。すぐに復旧はされたものの、その後も寝るまでに数回停電が続いていました。

ミャンマーでは、水力発電が6~7割ほどを占めていて水不足になると停電が多く、1日に数回停電する事もあるそうです。 日本では、台風や地震以外で停電になることはほとんどなく、日々の生活に困ることなく快適に過ごせることに有難味を感じます。

3日目は、いよいよ学校訪問の日です。今回建設した学校はタバウン郡区というところにある村にあります。 タバウン郡区はミャンマー連邦共和国の南西部、イラワジ川のデルタ地帯にあります。

土地の大半が低地で陸路の交通手段が未発達な上、雨期には地域の半分以上が川の水位上昇により冠水してしまうため、住民たちはボートによる移動を余儀なくされるそうです。

まず、パテインからタバウンまで車で約1時間移動し、そこからは道が狭くなるので、二輪車に乗換えての移動になります。始めは整備された道でしたが、次第に道幅が狭くなり、車では移動できそうにないということを、身をもって体験しました。

塗装されていない道を二輪車で30分程移動したころ、目的の村に到着しました。 学校に着くと、早速テープカットから記念式典は始まり、村民の方々から歓迎の挨拶をしていただき、子ども達は踊りと歌を披露してくれて、温かく迎えていただきました。

記念式典後は、子ども達や村民の方々と昼食を一緒にいただきました。この学校ができる前は、この村では牧師さんが子ども達の教育係を務められていたそうです。


ヒロセ通商株式会社が今回の学校建設プロジェクトで取組んだのは、校舎とトイレ建設、住民による学校運営委員会の設立でした。子ども達やこの地域の方々が喜んでくれる姿をみると、学校建設プロジェクトで支援できたことを嬉しく思います。


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