オーストラリアに留学していた頃の話

私は1998年11月から2005年3月までの6年半、オーストラリアに留学をしていました。ホームステイ先はチャーツウッドにあり、やさしいおばあさんとドイツからの留学生やタイからの留学生など各国から留学生が集まり、長期留学の人や短期間で旅行のついでに勉強に来たというような人もいて、とてもアットホームで楽しいホームステイ先でした。

唯一楽しくなかったことと言えば、私は全く英語がしゃべれないということでした。留学するまで学校で習った英語しか知らず、習った英語もままならない状態で知らない土地へ飛び出したものですから、普通の生活をすることが困難で何かあるごとに困ってしまう毎日でした。

学校に通うためにセントラルステーションに行けば電車が遅れることは当たり前で、毎日ちゃんと電車が来るのか不安で一杯なのですが、周りを見渡すと誰一人として焦っているように見える人はなく、なんてのんびりしているんだろう。日本では考えられない光景だな。なんて感心しながらホームにいると、その日は待てど暮らせど一向に電車が来ないのです。ホームには何やらアナウンスが流れているので何かあったのだということぐらいは理解できたのですが、まさか電車がキャンセルになったなどとは想像もつかず、ひたすら焦りながら電車が来るのを待っていたことを覚えています。また、映画を見ると勉強になるのではと思い、映画館に行くと料金の安さに少しうれしくなりました。

今は日本でも50歳以上の方に割引があったり、色々な割引はありますが現地の映画は日本の映画の半額ぐらいで見ることが出来たのですが、英語がさっぱりな状態で日本語の字幕もない映画を見るというのは、いくら日本の半額でも高い映画代だったと思います。

そんな感じで毎日を過ごしていると次第に日常会話が出来るようになり、コミュニケーションも取れるようになってきたわけですが文化の違い、考え方の違い、環境の違いには最後まで驚きが一杯で当たり前のことですがそう簡単に理解できるものではないと実感しました。中でも感心したのは観光客が大勢訪れる有名なボンダイビーチやマンリービーチがすごく綺麗でのんびりした風土のわりには管理が行き届いていて自然に生かされているということを感じることが出来ました。

そんなこんなで6年半を過ごしたわけですが、オーストラリアに行って一番自慢できることは偶然にも二コールキッドマンに出会えたことだと思います。

村田 浩一

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